NYUで行われた「ゲームをテイスティングしちゃう」というセミナーに行ってきた
ニューヨーク大学のゲーム学部(Game Center)で行われた、Tasting Gamesというセミナーに行ってきました。ゲームをテイスティングしちゃうと訳してみましたが、ゲームクリエイターの方がゲームを食べ物に例えながら、おもしろい観点でゲームとはなんぞやをプレゼンするというものでした。実用的なセミナーというよりは概念的でコアな部分をじっくり話すというものでした。
Testing Games
今日の発表者、Naomi Clark。
Legoやゲームラボでも活躍してたことがある、ニューヨークのゲームデザインシーンで重要な人物と紹介されていました。自分で開発もするし、本も書いている模様。
今回写真がブレッブレなので、あ〜・・・・と思ってください。
Part 1 面白くても理解されない
Chershというゲームについて。
駒を持つまでその駒がどういうふうに動くかもわからないゲーム。そして一度駒を選択すると、盤に置くまで離すことができない。
ユーザーの声で、どうやってこれをプレイするのか分からない!ひどい!のような会話が展開されていた。
Sunless Seatというゲームについて
無駄な時間をすごく使わなきゃいけないと思っている人が多かった。ただ、現実の船のキャプテンのように暗闇をよく見て、プレイしなくてはいけない感じであった。
やっぱり面白いゲームでもそうやって我慢が続くものもあるものだ。
ただ我慢できず、不服をいうプレイヤーに開発者が、反論する動画もあるw
一つのテイクにめちゃくちゃ時間をかけている。これもそのような技法と似ている。早く喋るとムードぶち壊しになる。なぜこんなに無駄な時間が?という人もいるが、それには意味があるのだ。
ここに来て食事や味覚の話に。
シェフの決定権はキッチンでは大きい。でもカスタマーの言うことも絶対。
イタリアンから、アメリカのイタリアンが生まれた瞬間を表現した動画(おそらく映画)を少しだけ見た。
お客が、出されたイタリア料理にもっとチーズを乗せてちょうだい!と言った。ウェイターはそれを聞き入れ、キッチンに持って行ったが、シェフはそれはイタリアンではなくなるから、やりたくないと言った。ただ、最終的には折れることに。こうしてできていったのがアメリカ料理だ。
そしてこちらのスライド。
このようにフードの歴史から見れば、ゲームの歴史なんてこんなに短い。
Part2 テイストはどうやって作られていくか
サウンドポエムというものを聞く。なかなか常人には理解しがたい内容・・。
テイストについて話し出すと、感覚は人によって違うから、喧嘩になったり。分かり合うのが難しい時も。
人は自分で取捨選択をしている。好みのファッションがあったり、自分の所属する仲良しグループが決まったりしてる。
それと同時にトレンドにも左右されたり、場所や育った環境に関わっ来たりもする。
そしてその結果、出会い系サイトに登録する時、自分でプロフィールの欄に書いたような人間になっているはずw
テイストは人それぞれに違うし、今までの経験によって作られていく。
例えば納豆はどうしても食べることができない人。ウィスキーを好まない人もいる。中には、いろんな味を試したいという人もいる。
ゲームの世界も一緒だ。
どんなゲームでもトライするという人もいる。新しい世界は楽しい。皆さんはゲームをたくさんトライするべき。
そこまで行くと、Tasteの域を超え、Cultivationのレベルになる。新しい世界を開拓していくのだ。例えばオレンジはピンクサーモンとすごく良く合うとか、新しい食べ方を発見するように。
そしてそれにチャレンジするためにはガッツが必要。
ただ実はそれだけではなく、例えばインド料理はすごい計算に基づかれて作られている。なので最後に足すのは、Cultureだ。
過去にTIME誌が出した記事。
人々はそのクラスによって好むものが違うというもの。
さらにこの4要素は混じり合ってもいる。
やっぱりどれが正しくて、どれが正しくないとは単純には言えないものである。
Part3 ゲームの中にテイストはあるか?
まずはゲームにはいろんなジャンルがある。
その中で人は、もっとクランチーなゲームがいいよねなどと表現したりする。ただ、もはや何を指しているのか分からないけど。
鳥は進化した。よりよく飛ぶためだ。人は進化した。脳が大きくなった。ただ新しい目的がある。
archaeo-purposeとneo-purpose。
人間は道具を使った。
どんな動物も遊ぶ。ただ人間はさらに動物が遊ぶというやり方以外でも遊びだした。編み物とかギャンプルとか。。もうあげたらきりがない。
そして人間はついにコンピューターを作り出した。それは脳の代わりになり、archeo-purposeである。そしてneo-purposeを合わせ合わせて、ゲームができたのだ!
例えば運動をするといえば、単に重い水を運ぶだけでもいいんだけれど、人間はトレーニングマシーンを生み出した。
ゲームが脳のある特定の位置にポジティブな影響を与えるという説がある。ゲームをプレイすると性差がなくなるという話も。
ただもちろん、ゲームがネガティブな影響を与えているという記事が世の中にはたくさんある。
SplentとCards against humanityというゲームがある。
ただこの手のゲームで一番歴史があるものというとモノポリーと言える気がする。
味覚についてこのような考え方がある。(左の星)
ただ、本当に影響するのは味だけではない。色々と他にも影響を与えるものがある。なので何をやっているのか何なのかと理解することが必要。
ただ・・ゲームは世界をよくしているの?そこに戻ってきたりもする。ゲームは芸術でありうるのか?
ゲームは料理のようにカルチャーとしてしっかりしていない。
Part4 プレイヤーとデベロッパーのために。細胞から生まれたことを考えよう。
宇宙の写真の真ん中にはナゲットの写真。しかしそこには差はない。全てが一緒なのだ
全部の音楽が好き。ラップ以外はね。
ゲームは大好き。スロットは絶対やらないけど。
ゲームは好き。でもジンガの無料ソーシャルゲームはやらない。とか。ただこういうタイプのゲームがお金をたくさん稼ぐのは事実。
この会場にいる人たちは、こういうのをプレイする人は本当に面白いゲームをやったことがないとか。Candy Crushをプレイしているのもバカだなぁと思うでしょう。でもそれだけじゃない。この中の人でも、FIFAはプレイしない。とかそいういう好みの問題もある。
Pauline Kaelの引用。
ニッチなところで人気になるのもいい戦略だけど、文化に影響を与えることはできない。
Part5
なぜこれが好きなの?とか他の人に聞きいたり、チャレンジすることはできる。自分の好みのゲームでなくても頑張ってプレイすることはできる。特定のジャンルのゲームが好きでなくても、プレイしたほうが良いい。学ぶことはたくさんあるのだ。
宇宙にも自然の重力がある。
でもただその流れに沿うだけではダメだ。
その中でも、自分の足が置ける場所を作ろう。
自分が生きれる分野を見つけたらいい。
テイストは無限にある。とりあえず、すべてを試したほうがいい。
質問コーナー
Q.オブジェクティブであることは大事。でもそうは言っても、絶対に正しいこともある。シェイクスピアのほうが、最近の作家よりもすごいということはある。
A.シェイクスピアのほうが本当に素晴らしいかな?私はそのくらいオブジェクティブでいるっていうことを心がける。
Q.チームでテイストが違ったらどうするの?
A.デザイナーとすごいテイストが違うときがあった。デザイナーにはこうしたいというすごい思いがあったけど、理由がない・・っていう時。よく起こる問題。解決していこう。
以上です。
人種も国籍も超えて、美味しいと思う料理はたくさんあります。(めちゃくちゃマズイ・・!っていう逆もありますが)そこはゲームも同じで、地球の裏側同士の人が、同じゲームで盛り上がることもあります。そのような誰にでも通じる真理をついたようなゲームを作れたら、すごい楽しいことが起こるだろうなぁなどと考えながら聞いていました。
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